医食同源 アンチエージング、グルメ、ライフスタイル

シンプルな生活を目指しています  海外での生活が25年を過ぎ日

follow us in feedly

香港の良心 陳方安生 アンソンチャンをご存知でしょうか?

f:id:dodojp:20170831215627j:plain

 

写真のアンソン チャンをご存知でしょうか?

 メディアから「香港の良心」と評され英国統治時代から有能中立の女性官僚として知られ、返還後も女性初の政務官として親中化する董建華初代行政長官(当時)の元でも公正中立の立場を崩さず、退任後は民主派支持を打ち出していました。

 

政府の透明性と説明責任、民主主義、そして香港が採用する「一国二制度」の概念に込められた権利と自由の保障を重んじる姿勢で知られ、特に若い世代に向けて、香港の本質的価値、法制度、「一国二制度」における基本的権利と自由を守り続けるための啓蒙活動を行っていました。

 

2007年12月の香港島区補欠選で親中派の葉劉淑儀(レジーナ・イップ)元保安局長を破って当選を果たしたばかりでしたが、当時の董行政長官が不人気であったため、引退後も香港市民の間では彼女の人気がある程度残っていたため、香港の民主派は2007年の行政長官選挙における候補者として、彼女の出馬を期待していましたが、結局参戦を断念しました。

f:id:dodojp:20201010162541j:plain

 

今思いますとイギリス統治下から政治に関わりのある方々には既に一国二制度の崩壊を肌で感じ取っていた結果なのかもしれませんね。

 

以下は2001年にアンソンチャンがイギリス統治時から務めていた政務官を退陣した時の

記事です。

イギリス統治時にパッテン総督に次ぐ2番目の政務菅として、返還後も2001年まで政務菅の任を務めていて、退任までの経緯が書かれている記事です。

今読み返しますと現状の香港がよく理解できます。

------------------------------------------------------------

19万人の香港公務員のトップの座にあるアンソン・チャン政務官が2001年1月12日、1年半足らずの任期を来年6月まで残して退陣を公式に表明した。同政務官の退陣は、香港の中国返還以来最高レベルでの政府指導部人事の変更となり、来年の特別行政区政府長官の選出を控え、今後の香港の「一国、二制度」の在り方ともかかわるので、メディアでも大きく取り上げられ、北京政府支持派、民主党等のリベラル派、有識者等から様々な意見が述べられている。

チャン政務官は間もなく61歳になるが、1962年に最初の女性の管理職員として公務に就き、返還前の最後の総督クリス・パッテン氏に1993年に抜擢されて、最初の香港出身かつ女性の政務官となり、英国のサッチャー前首相と対比されることもあり、強固な意志を持つ有能な行政官としての名声を獲得した。香港返還時には初代の特別行政区政府長官としても取り沙汰され、香港市民の間での人気も高かったが、パッテン総督と英国政府に近い関係を持つことが、北京の中央政府が長官職に推さなかった理由だと言われている。同政務官は、香港の培ってきた法の支配、思想・表現の自由、公務員制度等の強力な擁護者として知られ、自らの信念に反する政策の強要に対しては職を辞する覚悟を表明したこともあり、海外メディアからは香港の良心との評価を受けてきた。

このチャン政務官については、当初から董建華特別行政区政府長官と反りが会わないことが取り沙汰されていたが、特に香港政府が強く推し進めてきた公務員制度改革について、このことを指摘する向きもあった。その後、香港の親北京派がチャン政務官の董長官に対する非協力的姿勢を批判することがあり、このような中で2000年9月、チャン政務官は北京を訪れ、銭基深中国副首相と会談したが、この会談後、新華社通信により、銭副首相がチャン政務官と香港公務員に対してもっと董長官に協力するように要望したことが報道され、董長官との不和がさらに取り沙汰された。一部メディアからは香港の「一国、二制度」に対する北京政府の締め付けを懸念する意見も報道された。

今回のチャン政務官の任期満了前の退陣表明は、このような背景の下になされたが、同政務官は、退陣理由として以下のように述べている。1999年3月、通常の定年退職の後も2002年6月まで勤務することに同意したが、当時は香港がアジア金融危機の影響による景気の大幅後退からまだ脱却していなかったし、香港社会に大きな影響を与える公務員制度改革についても議論が緒に就いたばかりだった。それゆえ職に止まることに同意したが、それ以来22カ月が経過し、香港経済は顕著な回復を示しており、消費者心理も好転し、公務員制度改革も進んできたので、そろそろ後進に道を開くときがきた。また、チャン政務官は、一部で憶測された董長官との確執が退陣の理由でないことを明言し、さらに董長官の任期が2002年6月30日に切れる場合の一部で取り沙汰された長官職への立候補についても、明確に否定した(北京政府の意向は董長官の再任と言われているが、同長官自身は立候補についての明言を避けている)。

これに対して董長官は、チャン政務官の香港返還以来3年半の協力と支持を高く評価して、その労をねぎらった。また、英国のロビン・クック外相も、1997年の香港返還がスムーズに行われたことと、その後の中英共同宣言の履行が順調に行われたことに対して、チャン政務官が果した中心的役割を高く評価し、称賛の言葉を述べている。

このような退陣表明に対する香港内部の反応は様々である。

フ・シミン中国人民政治協商会議委員等、親北京派の香港在住有力筋は、今回のチャン政務官の退陣で、董長官が自らの意に沿う政府指導部をより自由に作れるようになり、香港の舵取が容易になると歓迎している。また同筋は、チャン政務官と董長官の確執は、2000年9月のチャン政務官と銭副首相の会談後も続いたのであり、遅かれ早かれチャン政務官が退陣を表明することは予測されていたとしている。

これに対してマルティン・リー民主党党首等のリベラル派は、香港経済の回復はまだ底辺まで行きわたっておらず、貧富の懸隔が深刻な社会問題になっており、2000年10月の董長官の所信表明演説(本誌2001年1月号参照)で言及された公務員上層部の説明責任の強化等、香港公務員の価値観や在り方に大きな影響を与える改革も途上にあり、チャン政務官の突然の退陣表明の理由は納得を得られるものではないので、さらに、説明を求めたいとしている。また、チャン政務官が国際社会で得ている高い評価から、同政務官の退陣によって香港のイメージが傷つくとの懸念も表明されている。

また、ラウ・シュウ・カイ香港中華大学教授等有識者の一部は、チャン政務官の退陣で、北京の中央政府との結び付きを重視する董長官がさらに、親北京路線を推し進め、香港の利益の保護に薄くなり、国際社会の懸念を生む可能性があるとしている。

さらに経済界を代表する自由党のジェームス・ティェン党首は、チャン政務官の退陣で香港政府が大きく影響されることはないだろうとしているが、公務員組合総連合のルン・チャウ・ティン委員長は、チャン政務官の退陣後に香港公務員の上層部がバランスの取れた公平な職務を遂行できるか疑問が生じると述べている。

チャン政務官の退陣に対しては、その背景からもこのように様々な意見が表明されているが、折しも「一国、二制度」のもとで思想・表現の自由を基本法で認める香港で、北京政府が非合法な「邪教」と規定する気功集団「法輪功」を取り締まる動きが顕著になっており、北京政府の意向で香港政府は法輪功に対する監視を強めているが、「一国、二制度」下での北京政府の圧力が強まっているこのような時期に、英国統治の時代から培われた香港の法の支配を強く擁護し、香港社会の伝統を重視するチャン政務官の退陣は、その後継者の選孝並びに来年の特別行政区政府長官の選出とともに、香港政府の運営を含めて今後の香港社会の動向を見ていくうえで注目に値する。

ちなみに、チャン政務官の後継者には、大方の予想どおり、北京政府の承認を得て2月15日、北京に近いとされるドナルド・ツァン財務長官(56歳)が董長官によって選ばれた。

----------------------------------------------------

今年6月に80歳になり、半世紀余りにわたり官界・政界に身を置いてきた陳方安生(アンソン・チャン)元政務長官は6月26日、80歳を迎えたことから市民活動と政治活動から撤退するとの声明を発表しています。

 

実際に香港で20年以上過ごした自身としてはとても懐かしく良かった時を過ごせたと感じています。