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ベルリンの壁の向こうの世界 その2 Check Point Charlie 

前回はベルリンの壁の西側から見た状況の写真をアップしました。

今回はCharlieよいよCheck Poin Charlieを経由して東ベルリンへ入国した時のことです。

第2次大戦後のドイツはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4か国の統治下にありました。ベルリンは当時4つのセクターに分割されていていました。

ベルリン宣言のあった直後、西ベルリンへの往来が自由だったために東ベルリンから西ベルリンに、そして西ドイツへ難民として逃れようとする人が多くなったそうです。特に知識人の流出が多かったそうで東側は東ドイツを守るために往来の自由を制限するためにベルリンの地下鉄、運河の渡し船、アウトバーンなどのすべてのインフラの遮断を行いました。また陸続きであったソビエトセクターと西側の間に物理的に流出を防ぐために壁を築き上げたのでした。

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東西ベルリンのゲートとして存在していたのはCheck Point Chrlieと呼ばれていたフレドリッヒストラッセにあった国境検問所です。

西側の人々は自由に行き来できましたが東の人々が西に来ることはやはり大変だったようです。当時は国民に西側の世界を見せないよう西側から飛んでくるラジオ、テレビの電波も妨害されてみれなくされていました。

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この状況は香港と隣接している中国の深圳では今現在でも見れないように共産党による情報制限のために規制がかかっています。インターネットも同様に情報規制のため中国ではFace Book,ツイッター、ヤフー、Googleなど閲覧することができません。またネットには検閲がかけられていてスピードも恐ろしく遅くなります。

 

この先には検問所があり、とても物々しい雰囲気でした。

さて、ここを通過するといよいよソビエトの管理下の社会主義国Deutsche Demokratische Republik  DDRです。

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この写真は東ベルリンです。

まず気付くのは街が殺風景でした。社会主義、共産主義ですので資本主義と違い競争原理がありません。全ての企業は国営です。従い宣伝も同業他社と市場シェア競争が必要ないため看板がないのです。

宣伝、看板のない街は色数も少なくとても殺風景です。香港のように看板を他よりもより大きく、少しでも目立つように道路に飛び出させる、というようなことは皆無です。

 

また、車を見ていただくとわかるのですが全員が平等ですので車も同じ、数種類しか車種がありません。メーカーが国営で競争もないために国が決めた低性能車でモデルチェンジなど進化もありません。従い開発もなく何十年も同じものを作り続けます。

資本主義では競争原理のために他に勝てばより売り上げが伸び、賃金も上がる。より新しい技術が開発されますが、共産主義ではすべてが平等ですのでやっても成果を報酬での評価がありませんので当然意欲をそがれてしまう、という状況です。

ですので当時の西側諸国と比べ30年以上も時代遅れの状況でした。

印象ではほとんど戦前の街並みとは変わっていないんではないかと思えました。

壁の向こう側をいろいろと見て回って写真を撮っていましたのでデジタル化できましたらまたアップしていきます。