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シンプルな生活を目指しています  海外での生活が25年を過ぎ日

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もっと美味しいコーヒーが飲めるカフェ

コーヒーを普段から飲んでいますが、生活にはお食事と同じようになくてはならないものになっています。

 

そんな訳で外出先では1日何度かカフェに行っていますので自分なりに感想をまとめてみました。

 

おいしいコーヒーの飲めるカフェ その1ではStarbucks,Pacific coffee,Zambra,Mark&Spencer,Dean&Delucaなどを挙げてみましたが、あくまで個人的な思考になりますが、より美味しいコーヒーが飲めるカフェを挙げてみます。

最初はイギリスでよく見かけるCafe Neroです。f:id:dodojp:20180827192640p:image

 

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街中や地下鉄の駅 主要な鉄道の駅には大抵あります。

コーヒーの味は平均点ですがスタバよりは良いかと思います。スイーツも豊富なのでゆっくり休めます。

次はイギリス、香港にあるPRETです。

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コーヒーやスイーツの他にスープもあってランチにスープとサンドイッチが食べられますのでとても便利なのでよく寄ります。

次は日本で誘われて行ってみましたBlue Bottleです。

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シンプルな店の中ではゆっくりと時間を過ごしながら、その場やBGMの音楽を聴きコーヒーを楽しむ、という環境ではなく、エスプレッソマシーンを使わず見ての通り手間をかけて入れたコーヒーを飲むことに徹してください、といった雰囲気です。言ってみれば人気のラーメン屋さんと注文から飲食、食べ終わったらすぐに出て行くというシステムは共通に感じました。

コーヒーを入れるショーを見せるのがお店のメインでお店の中心にキッチンがあって、その周りにいくつか背の高いテーブルと椅子があります。しかしキッチンに比べてお客の滞在スペースはごく僅かなため、混んでいたせいもあり大半の人は立ち飲みでした。

注文するのに並んで、待つこと15分くらいで名前が呼ばれ目の前で入れてくれるのですが毎日自分豆を挽いてお湯を注ぐのは全く一緒の作業です。

値段と雰囲気と味の総合評価としては話題のお店に行った、ということでよろしいのではないでしょうか、と個人的な感想です。

 

まだまだ印象的なカフェがありますがその3でまた書きます。

 

 

 

 

 

 

おいしいコーヒーのあるカフェ Cafe-1

最近欧米系列のカフェが増えて色々と選択肢ができたのはとてもいことですね。

香港、日本、ロンドンのカフェについて振り返ってみました。

カフェと一言で言ってもカフェに行く目的も色々あるので、

用途によって使い分けています。

1、美味しいコーヒーが飲める。

2、ゆっくりくつろげる。

3、家庭では諸事情で集中できないのでカフェで本を読んだり勉強をする。

4、人と会う場所として利用する。

5、暑さ、寒さから逃れる。

などなどの諸事情で行くことがあると思います。

目的別に色々なカフェについて考えてみました。今の時代はパソコンやスマホの使用を考えるとフリーWIFIがあることが必要条件ですよね。  

 

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 言わずと知れたStarbucks.

スターバックスは日本でも香港でも店舗数も多く、学生や若い方々がパソコンを持ち込んで何かを見ているのか、作業しているのかわかりませんが長時間に渡り座席を占拠されています。

ロンドンではスタバの店舗数が少ないのと競合がたくさんあるせいか、いつもガラガラのイメージです。

 香港・東京ではいつでもノートパソコンを持った学生が席を占拠していて空席がないので最近はぜんぜん行かなくなりました。

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 香港にはスターバックスと店舗数を争っているPacific Coffee というカフェがあります。

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店内は赤色が基調となっていて基本スタバと内容は同じです。

店内には椅子でなくソファーがたくさんあるので、とても寛げるのでまるで自宅にいるような感じです。コーヒー自体の味はスタバとほぼ同じであまりおいしいとは言えません。皆さんはどちらかというとクリームたっぷりの飲み物を好んで飲んでいるようです。

パソコンで長居する人たちはスタバと状況は似たようなものですが、でもどの店舗も面積があるため空席がたいていあるので難なく座ることができます。

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こちらは香港の金鐘という場所にあるショッピングセンターのスーパーマーケット内のカフェです。こちらはコーヒー専門店ですのでいろいろな種類のコーヒが飲めるので買い物のついでにたいてい一休みししてコーヒーを飲んで帰ります。

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 こちらはイギリス系のデパートで香港にもあるMark&Spencer Food内のベーカリーとカフェです。

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イメージ的には日本にも進出でぃているDEAN&DELUCAにお洒落な雰囲気がにているように思えます。

もともとMark&Spencerはデパートで衣類なども販売しているのですが、食品も販売を独立店舗で行っている中にカフェがあります。

ここの食品は冷蔵品のハムとかお惣菜、カレーなどすべてイギリスから空輸されてきているのでイギリスそのものの味が楽しめます。ぜひ試してみてください。おすすめです。

コーヒーの味は可もなく不可もなく普通です。

 

次はDEAN&DELUCAです。

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ここではベーカリー、ケーキ、今だと季節のフルーツのシロップ漬けのビン詰めがあったりとか、とても今風な雰囲気でお洒落な商品が取り揃えてあって、そして店舗にもよるかもしれませんがとても落ち着てゆっくりとコーヒーがのめます。

コーヒーの味はスターバックスよりちょっと上かな、というくらいでしょうか?

客層はパソコンを持ち込んで居座っている人たちはあまりいないようで、年齢層もちょっと上なんでしょうかね?

自分にはここの雰囲気が一番あっているので最近はよくいくようになりました。

 

ここのパン、特にシナモンロールがとてもおいしく必ず食べてしまいます。

 

カフェについて書き始めるといろいろとあるので今回はこれくらいにさせていただきまた続きをアップいたします。

 

 

 

 

ベルリンの壁の向こう側 その5

東西のゲートとして当時出入国管理をしていましたCheck Point Charlieを通過しますと、向こう側の景観が30年位時計の針を戻したような街並みでした。

元々ヨーロッパでは建物を大切に手入れをして大切に使う風土がありますが、東ドイツをはじめとする東欧諸国の旧共産圏では手入れがあまりされていないためかとてもレトロな雰囲気を感じました。

現在では大分近代化された街に変わってしまっていますが。

また、走っている車も東側の独特な車種でレトロ感を更に助長しています。

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この写真は当時駅の売店です。

販売されていたのは雑誌と切手位でスナック菓子や飲み物などはありません。物が溢れて返っている資本主義国の売店とは全然違いますね。

限りある資源を無駄にしないという観点で個人的にはこれで良いのではないか?と思っています。

このレトロな雰囲気と販売員のお洒落な女性とのアンバランスが良いですね。

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この写真は東か西か記憶がないのですがソビエトの戦没者の碑と言うのでしょうか。

写真中央に2人の兵隊が警備をしていますね。

色々と歩き回って写真を撮っていましたが、何回か写真を撮ることはとても危険ですよ、と声を掛けられました。

中国でも日本人が写真を撮っていたためにスパイ容疑で逮捕されていますが、共産圏では自由と情報が制限されていますので普段普通にしていることでも注意しなければならないと思いました。

最近日本人のyou tuberやイタズラしたアメリカ人拘束された北朝鮮以外は、今ではそれほどでもないかと思っていましたが最近の中国での拘束を考えると、まだまだ危険ですので共産圏を訪れる際は気をつけた方が良いですね。

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ベルリンの壁の向こう側 その4

東側のベルリンに入り感じたことは時代が30年くらいタイムスリップした感じでした。

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先ずは看板がないのと建物が石でできているせいか、色があまりなくとても殺風景です。個人的にはとてもシンプルで好きです。

次に車がとても古臭いデザインです。今となって見るととてもクラッシックなレトロないい感じです。

道が舗装はされてはいますが凸凹で穴ぼこが結構開いていて、補修されていないところが多かったです。

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また当時から西ドイツにはトルコ系移民とか中東系の人がが多くいましたが、当時の東側は白人しかいませんでした。

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これらの写真は1980年代半ばです、社会主義当時は戦前の雰囲気とあまり違いがないかに感じてしまう街並みでした。

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遠くに見える串団子のようなタワーはテレビ塔です。社会主義国ってなぜかこのようなテレビ塔がよくありますがなんでなんでしょうかね?

 

その4でしたが写真の加工ができましたらまたアップします。

 

 

 

 

 

 

 

ベルリンの壁の向こう側 その3

いよいよCheck Point Charlieから共産圏の東ベルリンへ入国です。

当時は未だ冷戦が継続していたのでアメリカ側もソビエト側もここでにらみ合っていてとても緊張した雰囲気でした。

 

ベルリンは東ドイツの中の離れ小島でしたので訪問に際しては、陸路で電車を選びました。空路を使用すると東ドイツの街並みが見えないので、ゆっくりと列車からの景色を見ながらベルリンまで行きました。

当時途中駅で荷物の積み下ろしがあったようで止まりましたが乗り降りをする乗客もいませんでした。更には警備隊が列車に乗ってきて身分証の確認がありました。またホームに相当数の警備隊が並んで乗り降りがないかと見張っていました。

彼らの制服は映画で見る対戦中のドイツ軍の制服にそっくりだったことを記憶しています。

さて、東側の壁です。

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当然と言えば当然なのでしょうが、西側と違い落書きは写真のように全くありませんでした。

相当に厳格な規則があったのでしょうか?

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町並みですが首都ベルリンですのでさすが中心部はある程度ビルが立ち並んでいました。

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車がとてもクラッシュな感じですね。

日本では既にスープラとかソアラなどが発売されていたのでどれだけ違いがあるかがわかります。

 

少し郊外まで行きましたのでその写真は次回にアップしてみます。

 

 

ベルリンの壁の向こうの世界 その2 Check Point Charlie 

前回はベルリンの壁の西側から見た状況の写真をアップしました。

今回はCharlieよいよCheck Poin Charlieを経由して東ベルリンへ入国した時のことです。

第2次大戦後のドイツはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4か国の統治下にありました。ベルリンは当時4つのセクターに分割されていていました。

ベルリン宣言のあった直後、西ベルリンへの往来が自由だったために東ベルリンから西ベルリンに、そして西ドイツへ難民として逃れようとする人が多くなったそうです。特に知識人の流出が多かったそうで東側は東ドイツを守るために往来の自由を制限するためにベルリンの地下鉄、運河の渡し船、アウトバーンなどのすべてのインフラの遮断を行いました。また陸続きであったソビエトセクターと西側の間に物理的に流出を防ぐために壁を築き上げたのでした。

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東西ベルリンのゲートとして存在していたのはCheck Point Chrlieと呼ばれていたフレドリッヒストラッセにあった国境検問所です。

西側の人々は自由に行き来できましたが東の人々が西に来ることはやはり大変だったようです。当時は国民に西側の世界を見せないよう西側から飛んでくるラジオ、テレビの電波も妨害されてみれなくされていました。

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この状況は香港と隣接している中国の深圳では今現在でも見れないように共産党による情報制限のために規制がかかっています。インターネットも同様に情報規制のため中国ではFace Book,ツイッター、ヤフー、Googleなど閲覧することができません。またネットには検閲がかけられていてスピードも恐ろしく遅くなります。

 

この先には検問所があり、とても物々しい雰囲気でした。

さて、ここを通過するといよいよソビエトの管理下の社会主義国Deutsche Demokratische Republik  DDRです。

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この写真は東ベルリンです。

まず気付くのは街が殺風景でした。社会主義、共産主義ですので資本主義と違い競争原理がありません。全ての企業は国営です。従い宣伝も同業他社と市場シェア競争が必要ないため看板がないのです。

宣伝、看板のない街は色数も少なくとても殺風景です。香港のように看板を他よりもより大きく、少しでも目立つように道路に飛び出させる、というようなことは皆無です。

 

また、車を見ていただくとわかるのですが全員が平等ですので車も同じ、数種類しか車種がありません。メーカーが国営で競争もないために国が決めた低性能車でモデルチェンジなど進化もありません。従い開発もなく何十年も同じものを作り続けます。

資本主義では競争原理のために他に勝てばより売り上げが伸び、賃金も上がる。より新しい技術が開発されますが、共産主義ではすべてが平等ですのでやっても成果を報酬での評価がありませんので当然意欲をそがれてしまう、という状況です。

ですので当時の西側諸国と比べ30年以上も時代遅れの状況でした。

印象ではほとんど戦前の街並みとは変わっていないんではないかと思えました。

壁の向こう側をいろいろと見て回って写真を撮っていましたのでデジタル化できましたらまたアップしていきます。

 

 

 

 

 

 

 

牛乳 ミルク

牛乳がとても好きで毎日飲んでいます。

タンパク質の補給という観点からも体には良いのではとも思っています。

しかし牛乳のカロリーが高めでということもあって考えてしまいます。特に夏場は水分補給のために飲む量も増しています。

対策として考えたのは豆乳に変えることでした。砂糖の無添加のものを牛乳の代わりに飲んで見ましたが、決して美味しいとは感じることが出来ず長続きしません。また、たまにですが普段ブラックで飲むコーヒーに牛乳を加えて飲みたくなるのですが豆乳を入れたコーヒーはとても飲めませんでした。

次に試したのはlow fat milk 低脂肪牛乳です。説明では生乳100%のもので、脂肪を生乳から73%カットしたものです。

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価格は普通の牛乳より40%くらい高めです。

飲んだ感想は脱脂というだけのことがあってドロッとしていなくサラサラ感があります。イメージは牛乳に水を入れて薄めたような感じです。悪徳メーカーでしたらやってしまいそうな感じのもです。従ってコーヒーに入れてもあまり美味しくはありませんでした。

 

牛乳で3.7とか4.3とか書かれている濃い牛乳がありますがあれってとても濃厚で美味しいですよね。

 

コーヒークリームとして売られているのはかなりドロッとしていますが。

 

やはり食べたり飲んだりして美味しいものは体に良くない、そして不味いものが体に良いものということもですね。

 

体を考えこの脱脂牛乳を続けていくか、豆乳を我慢んして飲むか、どーしようかと考えてしまいますが、当分はこの脱脂牛乳を続けて見ます。

昭和回顧録 その2 買食い

今の子供達では考えられないと思いましが、小中学生の頃は買食い禁止という言葉がありました。

 

どういうことかというと子供が物を買って、その場や歩きながら食べることが学校から禁止されていたのでした。

暫く日本にいなかったこと、子供の学校が海外で行っていたので高校卒業までバスで送り迎え、バスのない時はMacに寄って昼を食べるのは当たり前、そして校内の売店や自動販売機があったので買食いは当たり前だったため現在の日本の事情は不明ですが。

子供の頃は親の目を盗んで近所のお菓子屋さんでチョコバットとジュースは ミリンダかチェリオをよく買っていました。

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チョコバットは今もあるようですが当時はセロハンでくるんであって、裏側にホームランと書いてあるともう一本もらえるので、それを期待してよく食べていました。

そんな買食いをしている時は少し大人になった気がして親には言えなかった不良行為と、ちょっとした贅沢でした。

懐かしですね、とっても!今でもチェリオはあるのかな?

 

夏 昭和人間の回顧録

20数年振に日本で夏を過ごしています。

これまでの海外の生活で忘れていたことが1つづつ蘇ってきます。

 

子供の頃夏に家に置いてあった飲み物で今ではあまり見ないのですが武田製薬のプラッシー オレンジという飲み物がうちに置いてありました。

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以前はお米屋さんがお米と一緒に配達してくれたと記憶しています。

記憶では夏休みになると必ず置いてあって、夏休み以外にはなかったものです。

ネットで見ますと未だ販売されているようですので近々購入して飲もうと思います。

 

次は今では色々と商品展開がされていてコンビニでも出来合いで購入ですぐに飲めるカルピスです。

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子供の頃はカルピスは今のようにペットボトルでなく水玉模様の紙に包まれたビンに入っていました。コップに氷を入れ、そしてカルピスと水を注いでから飲むことができるもので、今のように外で手軽に飲めるものではありませんでしたので大きく変わりましたね。

今でもたまに飲みますが以前は喉にカスがたまって嫌な思いをしながら飲んでいた記憶があります。不思議な味で子供の頃は夏の飲み物でとても好きでした。

冬にお湯を注いで飲んだこともありましたがカルピスは冷たくして飲むに限りますね。

他の味でたまに家にグレープだのオレンジも置いてあったと思いますがカルピスはやっぱり絶対に白です!

 

飲み物続きで行くと次はやはり麦茶です。

今ではペットボトルで出来合いが販売されていますが、当時は麦を買ってきてそれをヤカンで煮出して、その後ヤカンをボールに水を流しながら入れて冷やして、それから冷蔵庫入りと、とても今とは違い手間をかけて作っていたと記憶しています。

夕食後に母親がよく作っていました。でも子供の頃はあまり味に馴染めず砂糖を入れて飲んでいたことを覚えています。消して自主的に前向きに飲もうとは思っていませんでした。

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それと夏と言えば風鈴です。

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以前は暑かったとはいえ、ここまで熱帯化していませんでしたので夜は冷房を切って窓を開けていましたので、風鈴の音が寝るときによく聞こえたものでした。

夏の準備で風鈴を夏祭りの時、毎年買ってもらいました。今では風鈴の音が住宅地を歩いていても聞こえてきませんね。

 

後、以前は今より蚊が多かったのか毎晩蚊取り線香を、そして中学生くらいからはベープマットを必ず使用していました。それでもよく耳元でブンブン聞こえて起こされたものでしたがこの夏は幸運にも、未だ一度も蚊の襲撃にはあっていません。

 

日本に居なかった時間で大きく世の中が変わっているのに驚いているこの頃です。

 

 

 

夏の花はやっぱプルメリア

とても暑い日々が続いていますがこの間の冬の画像に続き、今度は夏らしい花の写真です。

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夏らしく暑い日を清々しく感じさせてくれますね!

このプルメリアですが見てますと色が色々とあるんですね。

代表的なのはこの白と鮮やかな黄色ですが赤系もあるのです。

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よく見ますと少し赤が混ざっているのがわかります。綺麗ですね!

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次は赤です。よく見ると少し白と黄色が混ざっています。

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こちらはもっと赤が鮮やかな色で白黄色も鮮やかです!

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個人的にはこの白と黄色が一番爽やかで夏らしく清々しく感じます。

この花が朝に芝生の上やプールに落ちて浮いているのを見るととてもなごませてくれます。

 

やっぱりプルメリアいーですね!

 

 

 

 

 

 

フイルムの画像をデジタル化

 20数年前からデジタルカメラを使用しているため画像はデータ化され保存と管理が楽になっています。

 

しかしそれまでに使用していましたのはフイルムカメラでした。

 

家の中を整理していましたところ昔の写真とネガフイルムが出てきました。

写真を見ると経年劣化でしょうか?写真がセピア色に変色していてこれはこれで味がでていてとても懐かしさを盛り上げてくれます。

 

この画像を今の時代に再度現像するのはちょっと、と思いますがでも何とか保存しておきたいのでこの程Nikonが発売するES-1というものを購入しデジタル化を進めてみようと思います。

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これまでは写真にあるLEDのライトで光る白い板にネガを乗せて、三脚にカメラを下向きにセットして撮影していました。しかしながらとても手間がかかること、そしてフイルムが反っているため反った部分のピントが合わないこともあって数年前に断念していました。

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今回購入したES-1はレンズに取り付けるだけの簡単装着で、手ブレなどの心配もありませんので簡単にピンボケのない画像でデジタル化ができます。

今は既に改良版のES-1の改良版のES-2が発売されています。価格は1万7千円とES-1の4千円と比べてもとても高価です。迷わずES-1を購入しました。

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レンズは手持ちのマクロレンズ60mmです。

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カメラはNikon D810です。

最初はES-1にネガをそのままセットしましたが抑えるためについている爪に引っかかること、ネガの厚みでは固定ができない、ピンボケになるのでいろいろとネット検索したところネガを挟んで固定することもできるガラスネガキャリーという便利な優れものがあるということで早速ゲットしてみました。

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作業性は問題ありませんでした。

今度は取り込んだ画像の処理をphotoshop  Light Room で行っています。

しかし取り込んだ画像の色を反転させて、そこから見た目の色に近づけることがこんなに大変だとは思いませんでした。

あとはホコリが付いているのでその処理も必要でした。

これから暇を見つけてコツコツと進めていきます。できた画像は今後アップしていきます!

 

 

 

 

 

 

 

ベルリンの壁の向こうの世界 その1

今は2018年。

1990年に東西ドイツが統合されました。

それまで第2次世界大戦終了後の1945年から東と西にドイツが分裂し、西側のベルリンが壁によって分断された状態になっていました。

 

まだ壁のある当時にドイツに住んでいたことがありベルリンの壁の向こう側に興味があり、どのような違いがあるのかが知りたくて行ってみたときのことを思い出して書いてみました。

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これは当時ベルリンの壁の象徴的な場所でブランデンブルク門です。今は壁がなくなり

当時壁が存在していたとはとても信じられないくらい変わっています。

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これは西側からみたブランデンブルグ門です。壁にはいろいろな言葉が書かれていました。

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東側の白い壁が見えますがこの壁の位置で建物が切り取られているのが見えています。

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なぜこの壁ができたかの経緯については長くなるのでここでは割愛しますが、ある日突然に自分の住んでいる地域に線が引かれ、はい、今日からはソビエトの管轄する共産主義国、こちらはアメリカ、こちらはイギリス、こちらはフランスの管轄です、とベルリン宣言で決められてしまいました。当初は行き来は制限がありませんでしたがソビエト管轄区からの流出が激しくなったために東側から西へは行ってはいけません、と勝手に決められ、流出を食い止めるために壁をつくり自由を奪われてしまうことが平然と起こる時代でした。それが1990年まで続いていたなんてとても信じられない事でしたね。

以前の中国も似たようなものでしたが今ではご存知のようにある程度自由に中国から外に出れるようになってきています。

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写真でみてよくわかると思いますが本当に刑務所の壁のようで、監視塔があったり東側には映画に出てくる大戦中のドイツ兵の制服そのものでブーツをはいている警備兵が監視をしていました。

反対に西側にはそんな緊張した雰囲気はありませんでした。

 

現在のベルリンには当時の重々しい東側の雰囲気はまったくと言ってもよいくらいに消滅しています。

 

次回はCheck Point Charlieを経由し東側の壁の向こうについてです。